理由:自然の流れに反してしまうと、新たな病に発展したり、非人類的動物を製造することにつながると思う。病気になってからの治療ではなく、なる前の治療へと役立つように再生医療が発展していけばよいと思う。
理由:・再生医療が身近になるぶん、ケガしても「また再生できるからいいや。」という考え方になってしまいそう。 ・体っていうのはそう簡単に治らないって思っているから大切にしようと思うし、危険なものから遠ざかろうとする。だから、再生医療が進んでも、体を大切にするってことを忘れないようにしたい。
理由:世界にはドナー待ちの人がたくさんいて、それが間に合わなかったために亡くなってしまった人はたくさんいる。でもiPS細胞があればその必要もないし、拒絶反応もでにくくて良い。 でもそのせいで命や身体を大切にしない人が増えてしまったら、戦争や事件が増加してしまうかもしれない。
理由:今日発表し合った話の中で、バカバカしいようなものも多々あったが、その批判の中で、もしかするとそうなのかも知れないと思わされるものもあった。日頃のiPS細胞の話ではがん化などのリスクを除いては、まるで奇跡の治療法のように扱われているが、細胞を初期化するという点において、逆らうことのできない時の流れに、逆行した行為だと気づいた。動物としての人間が、その力を手に入れることは、果たして、どうなのだろうか...。
理由:最終的なゴールを考えた場合に、健康に気をつけて体を大切にする生活様式が変わっていってしまう可能性がある。また、生きるということに対する意識の欠如なども考えられる。生命倫理についても考えなおす必要があるのでは?科学技術の発展の歯止めはだれが行えるのか?
理由:今日、意見を出しあったことで、クローンなどを作れるとなったら自分の命の大切さを見失ってしまのではないかという疑問を持った。寿命があるから人は死を悲しみ、生きていることを大切だと思うことができるのだと思う。寿命がたとえ短くても、長くても、その1度きりの人生をどのように大切に生きて行くかというのが、人間には必要なことなのではないだろうか。iPS細胞によって人は新たな可能性を持つことになるだろう。その可能性を間違った方に広げていくのではなく、人にとってプラスになる方向に広げていくことができたらいいと思う。命の大切さはいつの時代も忘れてはならないことであろう。
理由:再生医療に関する報道は、どちらかと言えばポジティヴに語られている。技術の進歩と将来への期待は良くわかるけれども、研究者、製薬会社、国家間の競争というなかで、生命の尊厳や倫理的問題に対する議論が充分なされているのかどうか。再生医療をめぐる経済・社会・医療・人間の存在等マクロな視点を考える議論が市民に届いてこないとしたら、安易に研究を是として進める研究者が市民の声を検討することはあるのだろうか。
理由:停滞を引き起こしかねない。また、DNAをいじりすぎると奇妙な変異を生じさせる場合があるかもしれない。生命はやはり生じて消えることで流れがスムーズにいくのかもしれない。再生医療をどこまで活用するかという到達点については試行錯誤が必要かもしれない。
理由:上記は、幅広い意見で捉えると再生医療に対する不安を集約するように思う。再生医療については、まず、医療の進歩として病気に苦しむ人達に役立つという意義は認められると思う。ただ、人の多様性や格差の問題等を考えた時、どこまで商品化するのかを規律することによりそれらの問題にこたえることになると思うため。
理由:命の重さは、限りがあることに由来しているとも考えられる。非常に有効な手段である一方で命の軽さにつながる、そんなに長生きしても何のためにという考え方もあるということ、人の"心"は再生できないということ。
理由:核をもってはいけないと国際的に決められているのに、隠し持っている国や、日本とは違う倫理観をもつ国がたくさんある。iPS細胞は、個人の臓器移植に、応用がきくがそれと同時に悪用されてしまう可能性が大きい。悪用されると、例えば人間のクローンを作るとかいうおそろしいことが起こるかもしれない。
理由:再生細胞については、案外現実的な期待と心配しか一般の人は持っていないと自分でも思った。医療がどこまで神の領域に近づけるのかは過去何度も問題になったことではあるが、再生細胞の持つ将来の可能性はその中でも大きなものであると思うし、その危険性についても、研究の段階で法的なものを含めて規制し暴走を防ぐ必要があるのではないか?
理由:ケアの場面で考えると「死」の意識があるからこそ例えば、人と人との出会いの大切さや、支え合うことの重みや難しさ、又、生きていることの感謝の念といった生きる上で抜きには出来ない事柄を感じられると思うから。「死」を意識することからこそ生きていけるとも思うが...。
理由:・私自身お金が無いのでちょっと心配。 ・ビジネスに利用されたり、まずしい人たちが利用できないなどの問題を作ってはいけないと思う・またこれに関して、この技術が特許対象となり得るので、一部の機関や国等が独占しないように気をつけるべきだと思う。
理由:障害者が生きやすい世の中になりつつあるのに、再生医療で障害がより目立つようになることはあり得そう。
理由:今僕達が充実した人生を送っていられるのは、死という終わりがあり期間が定められているので、その期間があいまいになってしまえば命の大切さもなくなってしまう。
理由:人は自分の身体は大事やし、かえがきかないからおろそかにすることはないけれど、タバコとか酒とかドラッグとかで身体がおかしくなっても金さえあれば身体もなんとかなる世の中になってしまったら、しかもそれが低価格にでもなれば、欲望のままに自分の好きなことをする人が増えるはず。
理由:再生医療がこれだけ現実的にぐっとせまってくると、ヒトは必ず死ぬ(からこそ、この世の中が存在する)という根本的な質問に必ずぶちあたると思います。その説明とscienceを進めていくことが、うまく調和するといい。
理由:完全なものが良いこととされ、例えば、障碍者が今より差別されたりなど、新たな差別感情が生まれる可能性が考えられるから。
理由:再生医療が進歩し、けがしても再生できたりすることで、たとえ、手足を失っても再生できるだろ、という考えで犯罪が行われたりしそう。寿命がのび不死身になることで、生きる意味を失っていきそう。高2の終わりにかいた国語の論文で私は「不老不死」について考えたが、デメリットが多いように思われ、私は「不老不死」に反対だった。
理由:日頃、生命科学系研究者達の中にいて、彼らは新しいことをどんどん進めて研究していく。人文系の歴史を振り返るとか反省するのとはとても違う。両者がもっとお互いのことを理解して、経済や政策も含めて、総合的に考えられるようになると、推進と抑制のバランスが取れて、うまくいくのではないかと思う。科学技術への市民参加には、人文社会系の力がもっと必要。人文社会系が市民の人たちにもっと理解されることも必要。
理由:私自身、出産の際自然分娩を希望していましたが、色々試したができず、帝王切開に頼りました。現代医学の力を借りないと産み出せない命がある事から、助けられる命と助けられない命、その判断は難しい問題ですね。
理由:1) 歴史的にも何か予測できないことは、きっと起こるだろう。 2) すべての人が共有できている基本が揺らぐ。
理由:臓器を再生する際の臓器はなにを基準にして再生するのでしょうか。なにを健常とするか。それを誰が決めるのか。研究者はより良い技術を追求するだけでよいのか。身体にみえる障ガイはどのように考えるか、そこからうまれる様々なものの捉え方などの広がりは再生医療を考える中で必要と感じました。
理由:新しい科学技術を社会に導入するにあたり、まず、議論すべき問題はどこまでが人間が操作することが許される領域かということだと思います。これを議論し、社会的な合意を得た上で、当該技術に対する規制手段(学会ルールにゆだねるか、法的規制をどの程度行うか)を模索すべきだと思います。
理由:意見の中でも出て来たんですが、「再生しようとして、まちがった形になるかもしれない」や「体を大切にしないかもしれない」というのが印象に残っています。
理由:医療の現場にいて日々考えるのは、人間の様々な考え方、価値観に反して医療がなされている現実があるという事です。死は、いつか必ず誰にも訪れる事なのにそれを受け入れることが出来なくなっている人が増えているように思います。高度な医療は必要だと思いますが、それだけでは解決できない問題も増えています。死が解決する事もあると思います。
理由:例えば、実現される事によっておそらく寿命が延びる。その時生きる目的が失われる。それは寿命が100歳より短いという概念を皆があたりまえのように受け止めていたのがいきなりくつがえされるからだと思う。その時にどうするか、それはとても大事だと思う。
理由:生物として「死」にも意味があると思うのですが、再生医療によって「不死」になることに問題はないだろうかと思う。「進化」は生と死のくり返しの結果として実現したと思えるので、「不死」になることで、人類の破滅に至るのではないだろうか。
理由:最近、ゲームなどのように現実社会においてもリセットができると考えている人がいるようです。再生医療によって死という考え方が変わるようであれば、よりゲームとリアルの差がつかなくなると思う。
理由:医療の問題はいつも生命倫理の問題がつきまとう。再生医療にたずさわる研究者・医療関係者は、今後このことを忘れないようにしてほしいと思う。
理由:最近の子どもはゲーム脳になりがちで、命のリセットや増産ができると思っている。元々ある体そのものの大切さを知った上で再生医療の知識を与えないといけない。体は再生できるけど、心の再生はできない。お金で命を買えるようになる(軽視につながる。)...その考えの是非。メリットばかりではなくて、デメリットも知っていく大切さ。
理由:再生医療という言葉は歯科や皮膚科の広告で日常的に見られるようになった。脊損(注:脊髄損傷)、脳損傷などの疾患に再生医療を用いることと個人のneedsに応じるために再生医療技術を用いることは意味がちがうのにといつも思う。
理由:この意見は、再生医療どころか、そもそも、病気、健康、医療とは何かを根本的に見直す所にまで導くだろう。再生医療は、臓器移植医療が近代的機械論的医療観に基づくのに対し、古代的な自然治癒力の考え方を復権させるものともいえる。しかし、自然治癒力には限界があるはずで、それを超えた再生まで望めない。歯が再生すればいいなあと思ったが、それは再生できないというのを受け入れていくことが大切なのかと思った。しかし、こういう考えって専門家に言っても聞いてくれないかな?
理由:臓器のとりかえが出来たら云々ー、というのは私自身確かに!と思って感心したのですが、薬物をやっても臓器をとりかえれるならいいじゃん!...という風になってしまうのでは。もしくは自分の体を改造ーなんてのも簡単にできそうで良いやら悪いやら...
理由:iPS細胞は人間の細胞がどんなに柔軟なものかを示しています。だからこそ人間にまで進化してきたのではないでしょうか。その力を信じて、多くの人の病がなおることは期待できるし、嬉しいことです。 ただ男性の細胞から卵が、女性の細胞から精子ができるかもといった事や、人間とは、を考えなおし、倫理規定が必要となると思います。 世界的な組織での研究を望みます。日本は特に新しいこと(研究・成果)には、なかなか予算も承認も遅いと聞きます。その点も前向きになる必要があるでしょう。
理由:人間は万能ではない。全ての生きているものが生まれて死んでいくように、人間もまた同じ。それに逆らうようなことをしてよいのか???と思った。自然の摂理に反するようなことをしてよいのか?
理由:お金や地位だけで延命やケガが治ったとしても治してもらって治った喜びや感謝の意がうすくなったり注意力がなくなるのは恐い。子供たちにも人の命には限りがあり、それを受けとめる心も養ってもらいたいし、優しさも忘れて欲しくない。将来への期待が大きいだけに後ろにみえない不安や問題点はより大きい(多い)ように思った。
理由:再生医療によって病気が治ることはとても素晴らしいことだと思う。だけど、本来持っているその人の命というのか寿命をいくらでもコントロールできるようになるというのも怖い。臓器だけならまだしもいつかは人まで作ることができるんじゃないか・・・と思ってしまう。
理由:技術の進歩に応じて人(や人の一部)がモノのように扱われるようになってきているという印象を受けたから。
理由:今は再生医療の限界を超えていると思います。大ケガをしたり、病気になるのも結果ですから、それを受け入れることも必要です。自然ちゆ力を高めたりすることで、難病などの可能性を軽減することはできると思います。あまり、長生きすると後の人がこまります。それぞれのライフステージを充実して終わっていくのが自然だと思います。
理由:可能性、夢が大きいもの、例えばタイムマシンのようなものには日常を大きく変えてしまう恐さがあると考えるため。
理由:医療の現場では治療の為に体を「物体」として扱うことが多いと思うので、特に幹細胞などの問題では「こころ」など目に見えない部分を忘れてはいけないと思いました。
理由:再生医療で自分の体を新しいものにおきかえることが一般的になったら、「自分ってナニ?」という感覚がめばえるように思います。再生できないオリジナルだけが「自分」でそれ以外は部分扱い。そうすると、健康や死に対する気持ちも変わり「自分」とは異なる「他者」に対する意識も変化すると思う。 障害のある方に接することの多い仕事をしているので、「個人」「自己」「個性」「自分」というものを意識してしまうクセがついているからかもしれません。
理由:地方公共団体の財政や法務の総務的な仕事をしていた私にとって、法制化や財務的なことに興味があり、まず、法制化などルールをつくることによって、再生医療の目的外利用を押さえ込む事ができ、倫理的にも有効であると考え、また、保険診療の適用をすることによって、財政的に軽減できるものと考えたからです。
理由:iPS細胞やES細胞の発見によって、再生医療の可能性がどんどん広がってきたが、これによって病気になることがあたり前になってしまうように感じる。たしかに、なりたくなくてもなってしまうことは有ると思うが、なることを前提するのではなくて、ならない、ならせないことを前提に考えてほしい。医療の最終地点は予防であるということを念頭においてもらいたい。お金を獲得することを目的にするのではなくて、人間の未来に向かってしっかり考えてもらいたい。
理由:私はタバコを吸っているのですが、健康上のことで禁煙をしようと試みています。しかし、健康に問題が生じたら、すぐ再生医療で治せるという状態であれば、禁煙の必要もないからです。(コスト、安全性の問題もありますが...)
理由:人間の寿命は神が決める。病気治療は自分の意志で決める。この為に開発して欲しい。
理由:人の欲望にきりがないが、どこかに限界を引く必要があると思う。人は不老不死を願うが、それが最高のものだろうか。適当なところでキリをつけるのがよいと思う。 そして経済的な問題が提起されているが「お金」がそれほど大切なものか。「お金」と「時間」はエクイヴァレント(注:equivalent-等価なもの)と考え、「時間」にもう少しウェイトを置いてもよいのではないか。
理由:私には今現時点で親しい人に難病の人がいないから言えていることなのかもとは思いますが、人は必ず社会の中で生きていて、皆が税金や保険で助け合いながら生きているわけで、そのことを忘れて生きていてはいけないと思っています。生活保護にならないように、大病もしないように努力して、それでもなってしまう人たちをみんなで支えていく事が理想だと思います。その中、一個人だけをみれば元気で長生きしたいとだれもが思うし、家族や友人にも障害、大病をかかえている人がいたらそれをなくせる技術が欲しいとは思うけれど、そのことで本来死ぬべき人が死なない=人口が増える(非生産人口の増加による国民の負担など)また、死や自分の身体の倫理観の変化により、結果的に再生医療の必要性が増え国民の負担になるetcの社会的問題をみんなで考えていかなきゃならないと思います。
理由:自分がインフルエンザかも知れないと思った時のことだが、とりあえず医者にいかなければ、と思ったし、社会的にもそれが要請されていたかと思う。自分の体のことは医療技術にまかせる、ということがほとんど当たり前のようになっており、当たり前とすら思わなくなる傾向がみられる。インフルエンザ(自分の病気としての)くらいなら、まだいいが、再生医療でそうなると思うとちょっとこわい。
理由:最近けっこう言われてる「ゲーム有害論」。死んでも生き返るから、という感覚が身についてしまうのだという、私は信じていないが。もし再生医療が発達したら、傷ついても回復できるとなるのではないか、とは思う。ホイミである、ケアルである、やくそうである、宿屋である、ポーションである(注:ケアル、ホイミ、ポーション等はゲームにでてくる回復魔法や回復アイテムの名前)。
理由:自然に人が一生を終えることに反している。再生医療が可能になれば可能性が広がりすぎて本来人間の持っている力以上のことができてしまいそうでこわい。病気で苦しんでいる人もたくさんいるけれど、バランスが崩れなければいいと思う。私の母もガンで治療中だが再生医療で治ってほしいかどうかは???命は限りあるものでこそ美しいと思う。
理由:生命がお金を払って人為的にコントロールされる...そういうことがあたり前になったら、今以上に残酷で苦しい世の中が待ち受けていると思う。本当の生命力は人為的にはうまれないと思います。社会的倫理がめちゃくちゃになって生命が淘汰されるなら、自然の摂理に従って自らの生命力を使って淘汰し、淘汰される方がシンプルでいいと思う。
理由:ヒトの寿命や生来の能力、特徴に差異がなくなってしまうおそれがある。生物多様性の危機を自らつくり出すことになる。技術的安全性にばかり目がいっていたが個別性がなくなる恐れがあることに気づかされた。
理由:子供を産むと、死んでしまう生き物もいるし、寿命が1日だけの生き物もいる。人間だけ欲張って、不老不死になるのはずるいと思ったからです。それに、子孫を作った生き物は、本当は必要ないんだから、せっかく神様がくれた天国に行くきっかけをムダにしないようにしたいとも思いました。
理由:倫理という曖昧な言葉、個々人によって全く異なる価値によって科学技術にストップをかける、口を挟むことが許されるのか。本来、個々人が決めるべきことを集団の倫理観などという存在もしないもので決めてしまっていいのか(私は良くないと思う)。中絶、クローン技術、臓器移植などを倫理上問題があるなどといって法で規制することは全く説得力がなく、不可能だと思う。
理由:今も存在する善し悪しの基準や格差が再生医療による操作可能性によって助長されるのではないだろうか。